PLANET DESIRE
Prequel Ⅱ ユーリス

Part Ⅲ


 ラミアンは7人の娘達を連れ、街道を急いでいた。闇に乗じてどんな化け物が出るかもしれず、油断がならないからだ。怪物は夜目が効く。そして、ある種の人間達にもそれは言えるらしく、夜間は野蛮な追いはぎに出くわすことも多いのだ。
「チェシー、気分は悪くないか?」
身重の娘を気遣ってラミアンが訊く。
「いいえ。わたしは大丈夫です。それより、ユーリス様はどうされたのでしょう?」
娘は心配そうに尋ねる。
「何、あのような者、心配するに及ばん。どんな怪物であろうと奴の化け物じみた剣の前では為す術を持たぬであろう」
ラミアンが応える。その横顔を照らすカンテラの光。その粒子の一粒一粒が表情にくっきりと陰影を落とす。

「少し冷えて参りました。ラミアン様、よろしければこの布をお使いください」
美しい図案の入ったその織物を掛けようとする娘に彼女は言った。
「わたしは平気だ。それより、そなたらが身体を冷やさぬ方がよい。特にチェシーとライア、それにアナーシャはな」
彼女らは皆その身に命を宿していた。
「ありがとうございます。でも、私達はまだ元気にございます」
アナーシャが言った。その言葉に娘達が皆頷く。
「そうか。では……」
ラミアンがそう言い掛けた時だった。急に風を切るシュッという音が響いた。
「何だ?」
彼女は耳をそばだてた。風に乗り、砂漠が枯れる音がする。そして、それに混じって聞こえる人間の足音。それも複数いる。こんな夜更けにうろついている輩だ。決して行いの良い者ではないだろう。ラミアンは娘達を後ろへ下がらせると剣の柄に手を掛けた。と同時に、シュッと鋭い音が宙を切る。

「伏せろ!」
ラミアンの叫びに娘達が一斉に身を伏せる。ラミアンは素早く剣を抜くと飛んで来た数本の矢を叩き切った。尖った先端の一本が飛んで石壁に当たりからんと転がる。矢尻の一本は茂った木に刺さり、またあるものは開いた側溝に落ちて闇に沈んだ。
「ちっ! 女だと思って手加減すれば、随分としゃれた真似をしてくれるじゃねえか」
石壁の脇からぬっと5つの影が現れた。互いが手に持ったカンテラの明かりが薄ぼんやりと双方の姿を浮かび上がらせている。その表情には深い影が刻まれ、街道に伸びた巨大な影はまるで怪物のようだ。しかし、彼らは人間だった。血に飢えた獣のように男達は不気味に笑い、舌なめずりした。

「女だ。兄貴、女が大勢いるぜ」
「お、おれにもくれ」
背後でよだれを流し、下品な言葉を呟いているそいつらもまだ姿だけは辛うじて人間の姿を保っている。
「やっちまえ!」
理性を失くした猿顔の男が飛び掛る。そして、正面からは槍を構えて突っ込んで来る細身の男。が、ラミアンはそれらの攻撃を横に跳んでかわし、反転すると左右から切りつけて来た剣を大刀で受ける。と、大男が分銅の付いた鎖を振り回し、正気を失った目で彼女を見た。
「へへへ。いいねえ」
じっとりとした粘液質の瞳の奥で女を剥き身にする。いやらしい目だ。ラミアンは侮蔑を込めた目で睨み、この獣共を一刻も早く娘達から引き離そうとした。が、彼らは素早い動きで彼女の行く先を塞ぐ。そして、槍や剣で即効的な攻撃を仕掛けて来る。
(何だ、こいつら……。まるで野生並みの反射神経だ)
山賊達は手段を選ばず、何処から何が飛び出して来るかわからない。一瞬たりとも気が抜けない勝負だった。

「ふふふ。諦めろ、女。おれ達と戦って勝利した者はいない」
首領らしい男が剣を突きつけて言う。
「くっ!」
剣と剣とがぶつかり、火花を散らす。が、彼女も力で負けてはいなかった。それにしても、威圧感が凄い。周囲の男達もじりじりと間合いを詰め、手にした武器で襲い掛かって来る。礼儀も何もない。彼らは野蛮な山賊なのだ。卑怯という言葉は彼らには通用しない。こうして首領と剣を交えている間にも平然と攻撃して来る。
「女だ女だ。この世の女はみんなおれ達のもんだ」
男達は飢えていた。この辺りで片端から女を襲い、弄んでは殺すという醜悪な山賊集団とはこの者達のことに違いない。

(このままではまずい。せめてあの娘達を……)
背後に庇う者達の影は一塊になって震えている。と、その時。
「へへへ。先にそこの娘をもらうぜ」
山賊の一人が娘に襲い掛かる。
「くそっ! させるか……!」
組み合っていた男の剣を強引に薙ぎ払うと、ラミアンは振り向き様にその男の背中に切りつけた。
「ぎぇーっ!」
頓狂な悲鳴を上げてその男は膝を突いた。その背中に出来た刀傷から鮮血が噴出して衣の切れ端を染める。
「てめえ!」
首領が振るった剣を上段で受け流すと同時に射って来た別の男の矢を体を捻ってかわす。すれすれに飛ぶ鎖の分銅……。そして、もう一度斜めから振り下ろされた剣。しかし、彼女はそれを完全にかわすことが出来なかった。
「うっ……!」
彼女は思わず顔を顰め、胸を押さえた。衣が切れてひらりと垂れ下がっている。だが、その下の帷子は辛うじてまだ裂けてはいない。

「惜しい!」
突然、背後で声がした。
「貴様……」
振り向くとそこにあの男が立っていた。
「いやあ、実に惜しかった。あとほんの数ミリで美姫の白肌を拝めたのに……」
男は微笑しつつラミアンの胸を注視している。
「ユーリス、貴様という奴は……!」
「わたしなら、ひっそりと春を待つ処女の蕾ともいえる胸元をそっと開かせられるものを……」
「そこへ直れ! まずは貴様から成敗してくれる!」
ラミアンが剣を振り上げる。と、同時に首領の剣が彼女に向かって振り下ろされる。が、それより早くユーリスの剣が閃いて男の剣を弾き飛ばし、その胸部を一閃する。と、首領の衣がめくれ落ちた。

「て、てめえ!」
羞恥な姿で男は凄んだがユーリスは意に介さない。
「何と、醜い。無様な男の胸を拝んだとて何ら喜びもなし」
むきになって襲い掛かって来る山賊達の繰り出す剣や槍を余裕でかわすと彼は言った。
「謝るならば今のうちだ。そこに直って反省し、今後の身の振り方を考えるというならば命までは奪わぬ」
が、連中に言葉は通じなかった。
「ほざけっ! おれ達に指図すんじゃねえ」
大男が鎖を豪快に振り回し、賊の一人が金属の槍を構えて突っ込んで来た。が、ユーリスは大男に体当たりし、身体ごと吹っ飛ばすと槍を構えた男の両腕をすっぱりと切り落とした。

「ぎえっ……!」
男は手首から鮮血を振り撒いて喚き散らしている。一方、巨漢の男は石壁に激突し、目を白黒させている。そして、鎖は首領の足元近くにまで飛んでいた。
「お、おれの手が……!」
手首を失くした男が狂気のように叫び続ける。
「黙れ!」
首領の前に突きつけた赤い腕。それをばっさりと切り殺して男は言った。
「ふん。見苦しい奴め」
その目は非情な獣の光を帯びていた。
「貴様、仲間を……」
冷酷なその態度にラミアンが嫌悪を示す。

「仲間の足を引っ張るような奴は仲間じゃねえ」
「そうだ!力のねえ奴は消えろ!そうすりゃ、そんだけ分け前も多くなる」
「早くおれの分け前をよこせ」
引っくり返っていた大男が目を覚まし、剣を持ってラミアンに切り掛かる。が、彼女も動じず、その剣と二合三合打ち合って間合いを取った。その間に首領とユーリスの剣がぶつかる。そこに長槍を持ち、突進して来る猿顔の男。が、ユーリスは振り向き様にその槍先を切断。すると勢いづいたその先端がラミアンと戦っていた大男の喉に突き刺さった。
「ぐはっ……!」
血に噎せてよろめく男。
「よくも!」
先端を失った槍を持ったまま呆然としていた男が、突然吼え声を上げ、怒りにまかせて突っ込んで来た。と、そこへその槍の先端が食い込んだままの大男が血に滑り、先程手放した自分の鎖に躓いて突んのめった。弾みで、大男は予期せぬ形で猿男の槍の前に飛び出した。

「バカヤロ! どけ!」
男が叫ぶ。が、勢いは止まらない。尖った棒は吸い込まれるように太い男の体をぶすりと斜めに貫いた。
「ぐふっ……!」
その先端が真っ直ぐ男の背中から突き出している。串刺しにされた大男は2、3度ひくひくと痙攣し、仰向けに倒れ、やがて動かなくなった。
「哀れな……」
それを見てユーリスが呟く。
「ふざけやがって……!」
仲間を刺した猿男が歯を剥く。そして、折れた槍を強引に引き抜くと、ユーリスに向けて突進して来た。その手と槍の先端が血のりで赤く染まっている。が、ユーリスは矛先をかわし、すれ違い様にその背に剣を叩きつけた。ぐしゃりと背骨の砕ける音がして、男はそのまま血の海に沈んだ。
「惨いな……」
ラミアンが剣を下げて呟く。瞬間、その彼女を狙った首領の剣をユーリスが弾き飛ばす。

「兄貴っ!」
突然、闇の中から声がした。新手だ。小柄な男が剣を、そして、もう一人が矢を射掛けて来た。恐らくは、夜に紛れて物陰に潜み、様子を見ていたに違いない。矢はユーリスが切り捨てた。そして、剣はラミアンを標的に躍り掛かる。受けた剣が震える。
「ラミアン!」
ユーリスがそちらに向かおうと振り向いた時。
「おっと、よそ見してんじゃねえよ!」
背後から突然分銅が飛び、鎖がユーリスの剣に絡みついた。
「どうだ? 動けねえだろう」
首領は醜悪な笑みを浮かべてぐいと鎖を引く。引きずられるようにユーリスが2歩3歩横にずれる。と、そこへさっき弓矢を射掛けて来た男が槍を持ち、突っ込んで来た。ちらと見れば、ラミアンの剣は一瞬の攻防の後、下段からすり上げて男に傷を負わせている。ユーリスは微笑する。絡まれたままの剣を引きずって、突っ込んで来た男の攻撃をすれすれで避ける。
「くそっ! 兄貴の敵だ! 覚悟しろ!」
男は何度も槍を振り回すがユーリスは巧みにそれをかわし、絶妙なタイミングで足を掛け、その者を転倒させた。と、男が握っていた槍が飛び、向こうの壁へ転がった。

「貴様……」
首領が怒り、鎖を更に締め付ける。が、ユーリスは動じない。見ると、先程の男が槍を拾い、彼を目掛けて突っ込んで来た。鋭利な槍がその喉元を狙う。しかし、ユーリスは動けない。
「ユーリス様!」
娘達が叫ぶ。静寂。そして、次の瞬間。血が噴出し、周囲に赤い霧が立ち込めた。だが、倒れたのは槍を突きつけて来た男の方だった。瞬間、ユーリスは絡む鎖を鉄の刃で切り裂き、反動でよろめいていた首領の拗ねを蹴り飛ばした。突然断ち切られた鎖は凶暴な力を持って突っ込んで来た男の顔面を直撃した。分銅の先には鋭い棘が突き出ており、当たった獲物を確実に粉砕する力が備えられていたのだ。同時に、ラミアンの剣が組み合っていた男の頚動脈を切断し、致命傷を与えた。周囲は血の悪臭に満ちた。

「貴様っ!」
はじめに背中に深手を負い、戦意を失くしていた男もそれを見て逆上し、剣をかざす。が、上段から打ち下ろしたラミアンの剣の餌食となり、その場で絶命した。
「この女!」
首領が彼女の背後から切りかかる。と、ユーリスの剣がその腰帯を切る。最後にへばり付いていた布切れもはらりと落ちて、男は一糸纏わぬ姿で鬼のように赤くなったり青くなったりした。
「どうした? 人々に恐怖を与え、悪さの限りを尽くした山賊の首領も、そのような姿になってはおしまいだな。あまりの羞恥に舌でも噛むか?」
「黙れっ……!」
それでも何の恥じらいもなく、剣を振り回し向かって来るその男の下腹部に向け、ラミアンが落ちていた固い鞘を投げつけた。
「うぐっ……!」
男は身悶え、青い顔をしてうずくまった。
「おお。何とも同情を禁じえない光景だが……」
ユーリスが気の毒そうな表情で言った。が、ラミアンは薄く頬を赤らめながらも容赦ない厳しい口調で断罪し、剣で心の臓を突いて止めを刺した。

「自業自得だ。この辺りで散々娘達に悪さを摘んでいたのだからな」
さっと剣を振って血のりを落とすと鞘に収めた。
「げに恐ろしきは女なり」
ユーリスの言葉にラミアンは顔を顰めた。
「何なら貴様にも罰を……」
「いや、待て。早まるでない。わたしはまだ何もしておらぬ」
「まだ? それでは、この先はわからぬということだな?」
「もし、わたしがこの先、そのようなことがあるとするなら、ラミアン殿の他はない。こう見えてもわたしは一途なのだ」
とユーリスは笑う。
「見えん」
ラミアンはぷりぷりと怒ったが、ユーリスは構わず娘達の方へ近づいて言った。
「大丈夫か? 我が愛しき未来の恋人達よ。さぞかし恐ろしい思いであったろう。このユーリス、命に代えてもそなたらのことは守る故、遠慮することはない。さあ、この胸でそっと涙を拭うがよい」
「ユーリス様……」
娘達は次々に礼を言ったが、彼の胸に顔を埋める者はなかった。


 そして、夜明け。娘達は皆、それぞれの村へ帰って行った。
「彼女達には家族が有り、帰る家がある。おまえは何処へ帰るのだ? ユーリス」
ラミアンが訊いた。
「さあな。わたしには何もない。ラミアン殿は?」
「同じだ。私にはもう帰る家も家族もない」
「そうか……」
ユーリスは遠い地平を見つめている。砂漠のずっと向こうにある何かを……。
「砂漠には怪物がいる……」
ラミアンが言った。
「一体いつからそこにいるのか……。人間が生まれるそれ以前からか……。誰にも知る由はないのだろうな」
彼女が見つめる悠久のそれはユーリスが追っているそれに似ていた。
「そうだな……。だが、あれらの吼え声は悲しい……。そう思わぬか?」
ユーリスが言った。
「ああ。あれらにもきっと親があるのだろう。怪物もいつか親の元へ帰りたいと願っているのだろうか?」
しんみりと言うラミアンの肩に腕を回し、ユーリスが言った。
「寂しいのか? ならば、わたしの胸で眠るがよい。朝までおまえの褥になろう……」
と抱き締めようとした瞬間。バシッとその頬に平手が飛んだ。

「たわけ! 調子に乗るでない。この軟派師め」
「ははは。威勢がよいのだな。だが、その方がよい。わたしは気の強い女子が好きなのだ」
「勝手にぬかせ! 私は帰る」
そう言って踵を返すラミアンのあとを追ってユーリスが言った。
「待て。帰る家などないのだろう? それに、随分汗をかいたであろう。どうだ? わたしの好意にしている宿には美と健康によいといわれている温泉がある。そこでゆっくりと湯につかり、心身の疲れを解されればよかろう」
「まさか、それは混浴だと言うのではなかろうな?」
ラミアンがふと足を止めて言う。
「はは。まさか。そのようなうれしい計らいならば全財産をはたいたとしても構わぬのだが、ここにたまたま特別優待券を何枚か所有しておるのだ。わたし一人ではとても使いきることができぬ。ならば、日頃より格別に世話になっているそなたに進ぜようと思うのだが……。どうだろうか?」
「格別だと?」
彼女は妙に言葉に引っ掛かるものを感じながらも、ユーリスが渡したその券を見つめた。確かにそこにはよく名の通った宿の名前と温泉の効用が詳細に記されていた。
「うむ。悪くないな」
「そうであろうとも。わたしは誠実な男なのだ」
「ここからそう遠くでもないし……。いいだろう。せっかくの好意だ。お受けしよう」
「おお。そうか。では、一緒に参ろう」
ユーリスはここぞとばかりに愛の調べなどを奏でたり、彼女に捧ぐ詩とやらを吟じてみせたりしたが、その内容があまりに恥ずかしいものだったので彼女は足早に宿へと向かった。


 宿屋の主人はクロノと言い、裏の情報に精通した男だった。宿屋と共に酒倉を所有しており、地価で酒場も営んでいる。
「それで、どうだ? このところの動きは」
ユーリスが葡萄酒をすすりながら訊いた。
「砂漠は今、落ち着いている。が、破壊神の動きが掴めない。不気味な程静かだ」
クロノが言った。
「破壊神?」
「ああ。砂漠で最も強大な権力を持っているという凶暴な怪物だ。ほんの数ヶ月前には村にまで現れて人を食うと恐れられていたんだが……。ここのところ、そんな騒ぎもめっきり減った」
主人も酒樽から葡萄酒を注ぎ、ユーリスの隣に来て言った。まだ時間が早いので他に客はいない。

「破壊神? それは一体どれ程のものなんだ?」
「あれは……人知を超えた存在とでも言うかな」
クロノは大げさに首を竦めて言った。
「中央だって手がつけられない砂漠の守護神さ」
「破壊者で守護神か……。面白そうな奴だな」
ユーリスが器の酒を一気に喉へ流し込む。
「それ程強いのなら、ぜひ一度お手合わせ願いたいものだ」
それを聞いて酒場の主人は震え上がった。
「とんでもない。そいつは無謀というものだ。悪いことは言わない。あんたがいくら強いといっても人間のレベルだ」
「そうだな……」
ユーリスは頷いた。が、その瞳の奥で欲するものは戦う相手……。彼は本気で戦える相手が欲しかった。


 「砂漠の破壊神か……」
ユーリスが呟く。
「だが、破壊したのは人間だ。砂漠を作ったのも、真実を隠し、人の心を砂漠化しようとしているのも……。怪物は醜く、生きるために人を食う。だが、人間とて牛や豚を食す。生きるという同じ目的のために……。怪物に罪はなく、むしろ人間こそが罪悪なのかもしれぬ」
ユーリスは宿屋の裏側に面した岩肌の通路を歩いていた。あちこちに突出した岩はかつて噴き出した溶岩が固まり出来た物だという。その奥に未だ名残の熱い水が湧き出して今や人間がその恵みによって重宝しているという訳だ。
「実験によって誕生した子供……。そして、実験によって破壊された街……。そして、実験によって……」

とその時、突然、女の悲鳴が響いた。
「あの声は……」
反射的に剣を抜き、声がした方へと駆け出した。そして、ごつごつとした大岩を駆け上り、剣を構えると叫んだ。
「ラミアン殿、何処に? 今、このユーリスが参上したからには無頼な輩には指一本触れさせぬ」
眼下には白い煙が立ち込めていた。周囲は十数メートルに渡り岩山に囲まれてそこから湧き出ている水音だけが木霊している。
「ええい、視界が効かぬ。ラミアン殿、何処にいる? 返事をせよ」
「ここだ」
そう遠くない所から声がした。

「何があられた? 大丈夫か? 今すぐお助けに……」
ユーリスが岩山を降りようとする。と、下から声が響く。
「いや。心配なさるな。わたしは無事だ。そのまま引取られるがいい」
「しかし……」
「本当に何でもないのだ。まさか動物が同じ湯につかりに来るとは思わなかったので少々驚いただけで……」
「そうか。それならばよいが……」
確かに、ここは荒々しいまでに放置された自然の中に沸いたオアシス。仕切りのない溶岩の壁。吹き抜ける風。そして、空……。時に野性の者達も癒しを求めて来るという。何処か地下の深いところから一瞬だけ不穏な唸り声がした。ユーリスは一旦戻り掛けるが、ふと振り向いて呟く。
「動物か……。しかし、よく考えてみれば人間とて同じ動物とも言えよう。そうだ。ここは同じ一つの湯につかり、将来についてじっくり見つめ直すことも大切だ。それに……」
白い湯煙の向こうで妄想が膨らむ。
「うむ。ここは実に良い宿屋だ」

そうして、彼が服を脱ぎ始めたその時。
「ユーリスか? 何をしているのだ? そんなところで」
すっかり身支度を整えたラミアンが向こうの上り口からやって来て訊いた。
「いや、何、わたしもこれから湯につかろうかと……」
「そうか。なかなかよい湯加減であったぞ。男湯はあちらの口からだそうだ」
ラミアンは乾ききらない髪を指で掬いながら言った。
「それはどうも……」
ユーリスはすっと目を細めて彼女を見つめる。
「では、お先に失礼する」
彼女がふっと通り過ぎた瞬間、ほのかに石鹸の香りがした。いつもはきっちり結い上げている髪を垂らし、ほんのり赤く染まったその肌が瑞々しい。
「うむ。人間もまだ捨てたものでもないかもしれぬ」
そうして、ユーリスは脱いだ上着を着直すと彼女のあとを追った。その足元の岩に開いた無数の小さな穴からは沸々と地の底に滾る龍熱が外に出ようともがいている。あたかもそれは巨大な怪物が大地を突き破り、生まれ出ようとしているかのように……。


 「ユーリス」
クロノが呼んだ。
「情報だ。中央があんたの行方を追ってる。もう、この場所を突き止めたかもしれない」
「問題ない。わたしはいつも正々堂々としているからな」
「わかってるさ。だが、今度は連中も周到な準備をしているようだ」
「心配無用だ。連中の言いなりにはならぬ」
「だが、気をつけるに越したことはない。あんたはおれ達の要なんだ」
「忠告を感謝する」
それだけ会話すると彼らは廊下で別れた。

「ユーリス……」
今度はラミアンに呼び止められた。
「おお、愛しの君よ。身体も清めたところで、いざわたしの褥へ……?」
そう言って笑うユーリスをじっと見つめてラミアンは言った。
「何故、中央から追われている?」
「それは……わたしの余りある魅力に中央の方々もぜひご令嬢の婿に欲しいと……」
「ふざけるな。私は冗談は嫌いだ」
「そうなのか? だが、人間にとって喜劇的思考は大切だ。それに、嗜好的欲情心も……。わたしもある老人に教わったのだが……」
「はぐらかすな」
時間の粒が砂のように零れ落ちる……。そうして埋もれた記憶を手繰り寄せるようにユーリスが言った。
「わたしは、ローザンシティーの生き残りなのだ」

と、その時。宿屋の中にばらばらと踏み込んで来る複数の足音と怒号が響いた。
「ユーリス バン ロック! そこにいるのはわかっている。抵抗をやめ、直ちに投降しろ! さもなくばこの宿屋ごと爆破するぞ」
「ユーリス……」
ラミアンが不安気な表情で見つめる。
「案ずるな。わたしは死なぬ。必ず愛するそなたの元へ帰る故……」
一瞬だけ強く彼女を抱き締めるとさっと身を翻し、騒動を起こしている者達の方へと駆けて行く。
「馬鹿な……。それではまるで危険の中へ飛び込むようなもの……」
彼女も慌ててあとを追った。

そこには武装した男達が十数人、クロノを取り囲んで柄の悪い言葉を吐き散らしていた。
「貴様、庇い立てするとろくな目に合わんぞ」
「そうそう。こんな宿屋の1軒や2軒潰すのは簡単なんだからな」
「そう申されましても……」
クロノがしどろもどろに言い訳をしている。
「それに何だ? 温泉宿にしては女もいねえ。すぐに奴と女を連れて来い! それに酒もだ!」
喚き散らしている男の顔面に酒樽が飛び、それが弾けて酒浸しになった。
「そんなに酒が欲しければくれてやる。這いつくばって飲むがいい」
ユーリスが言った。
「貴様……!」
びしょ濡れのまま男が目を剥く。
「こやつを捕らえろ! 多少手荒なことをしても構わん。どうせ奴は……」
言い終わらないうちにその口に太い肉詰めが放り込まれる。
「酒だけでは味気なかろう。つまみも用意してやったぞ」
「己! 減らず口を……! こやつを引っ捕らえろ! すぐにだ!」
口から出した腸詰を手に持って掲げながら指揮官が言った。

男達は奇声を上げ、剣を抜くと一斉に襲い掛かった。が、ユーリスは最初の一撃で腸詰男の頭を叩き割った。どっと血の泡を吹いて倒れるその男を踏み台にして、彼は部隊の中へと躍り込んだ。そして、左右から振り下ろされた剣をそれぞれ逆方向へと弾き飛ばす。さらに、巨漢の男が振り下した大刀の根元3分の1程を残して、刃もろとも断ち切った。
「馬鹿な……! 特別に鍛えてもらったこの肉厚な刃が剣で切られただと……!」
驚愕する男。それを見た周囲の者達にも動揺が広がる。ユーリスは堂々と正面玄関に向かう。そして不敵に笑んで言った。
「わたしを捉えたければ付いて来い。そして、もしもわたしを剣で制することが出来たなら、その時にこそ好きにさせてやる。さあ、自信のある者は外へ出ろ」
「待て!」
「言わせておけば……!」
がむしゃらに剣を振り、向かって行く者達を前後左右へ巧みにかわし、ユーリスは余裕で中央突破して行った。
「くそっ! 逃がすか!」
制服さえも不揃いな半端者の男達が無秩序にそのあとを追う。

「主人、これはどういうことなのだ?」
残されたラミアンが訊く。が、クロノは酒と血と泥に塗れた床を見て首を竦めた。
「わからんね。だが……」
「……?」
クロノは僅かに差し込む光の向こうを見て言った。
「この星は変わる……。奴がその鍵を持っている。ユーリス バン ロック……。あいつが……」